プロンプトの技術を教える講座ではない。
AIを使って、自分の中にあるまだ言葉になっていないものを、外に出すための場だ。
これがこの場の出発点であり、たぶん一番大事な一文だ。
AIは、ゼロから何かを生むのが得意なように見える。
でも自分が見てきた限り、本当に面白いものが出てくるのは、使う側に積み重ねがあるときだ。
楽器を触ってきた手。
現場で判断してきた目。
言葉にできないまま体に入っている、その人だけの経験則。
AIはそれを増幅する装置になる。経験がある人ほど、深いところまで潜っていける。
だからここで立つのは、技術者の目線でも研究者の目線でもない。
実際に使い倒した人間の目線——使用者目線だ。
やっていることは、突き詰めるとひとつの円環だ。
ツールが何であっても、この形は変わらない。
この円環のうち、外から見える「形」はここに書いたとおりだ。
でも一番効くところ——何をどう言葉にするかは、ここには書かない。書けない。
それは相手の経験によって、毎回まるごと変わるからだ。
楽器屋の人と、農家の人と、役所の人とでは、引き出すべきものも、問いの立て方も違う。
マニュアルに落とした瞬間、それは別物になる。
誰でも真似できる手順に落とせるものは、誰でも真似できる。
つまり、すぐにコモディティになる。
骨格は開いておく。深さは、潜った人にしか応えない。
——オープンソースのように。開かれているのに、尖っている。
もうすぐ、生まれたときからAIがある世代が来る。
検索が当たり前だったネット世代のさらに先だ。
そのとき効いてくるのは、たぶん逆のものだと思っている。
AIで何でも出せるからこそ、人間にしかない経験・判断・身体の価値が際立つ。
AIを否定するのではない。
使い込むほど、人間の側の手応えが要る、と気づく。
AIを肯定するほど、人間が浮かび上がる。
この皮肉のような構造を、実際に手を動かして体験してもらう。それがこの場でやりたいことだ。
教えるのは、プロンプトの書き方ではない。
AIと向き合いながら、自分の中にあったものを、自分の言葉で掴み直す——その潜り方だ。
経験のある人ほど、深く行ける。
だからこの場は、何かを身につける場というより、すでに持っているものを、見つけ直す場に近い。